2014年01月

2014年01月31日

検査結果良好&樺太・阿幸村

ひーくん、ぶーくん

先々週の膠原病検査の結果を私一人できいてきました。良好ゆえ今後も検査だけなら近所の膠原病も診ている個人医院への転院の提案がありました。

状態が悪くなったら、また来ればいいとのこと。母の膠原病は大変良好で、大病院の人混みと手続きに疲れる様子ですし、専門医はもっと重症患者をみた方がよいと思うので、即決で転院することにしました。紹介状をかいてもらい、半年後の検査から新病院へ通います。調べたところ、良さそうで一安心。

よい結果を知らせにグループホーム川に行き、母と散歩&MACラテをしてきました。母自伝の修正&追加情報です。

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発端---はじまりは東北バッパ三姉妹。3姉妹の器量はよくない(笑)。東北バッパがその中ではまともだった。
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当時の東北バッパの仕事は、母をA会社に紹介したSさんのコネでセッケンの行商だった。
→引き上げの後の可能性アリ


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おばば---東北バッパ家のはすむかいに、「おばば」というやり手の女性が住んでいた。
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東北バッパと血縁関係はなし。
→東北バッパ母の妹、母の叔母。

おばばに旦那さんはいたが、子どもはなく、外にたくさん女をつくって浮気ばかりしていた。このおばばは、旦那さんのこともあったか、一念発起し、漁業+海運で成功。

たぶん海運関係で北海道-樺太と縁があり、北海道にいた東北ジッジ、かわいがっていた東北バッパとともに、6隻の船とともに、樺太の真岡で漁業+海運+郵便業務をはじめた。真岡の郵便局といえば有名な事件があり、おばばはこれにも関与していたかもしれない。
→おばばは東北バッパさんを連れて樺太の真岡ではなく、本斗町に吸収合併された「阿幸村」へ。船6、7隻でにしんや昆布をとり、内地へ運んで財をなした。おばばは村の港前に2階建の大きな家を構え、この家の一角で郵便局もしていた。

・樺太では珍しい、製紙工場を背景とせず、林業や漁業を中心として発達した町であった。
・日本人との関わりも大変古く、1295年日持上人が日蓮宗の布教活動の為に町内にあたる阿幸(ヤスノモルスキー)に上陸したと言われている。

母には工場やお寺の記憶なし。東北バッパはじめ一族が日蓮宗に熱心なのは、阿幸に由来するかもしれませんね。。


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真岡の母→阿幸村(おこうむら)の母
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あまり記憶はないが、東北ジッジは漁師相手の店をやっていた。手製のおもちゃも人気だったらしい。
→おばばの港の家から、町中へ少しいったところに、母が住んでいた家があった。母の家は1階建で、東北バッパさんが店をしていた。店では東北ジッジが作った造花やおもちゃなどを売っていた。この家を出て左にまっすぐいくと小学校があった。

家にはラジオがあった。干しバ ナナの記憶もある。これは結構裕福な証拠。
→家にはラジオ、西洋式ストーブ(樺太本のイラストで確認)があった。家の横には「やぐら」があった(東北ジッジが消防団長だから?)東北ジッジが近所の子どもを集めて、このやぐらから干バナナをまいた。東北ジッジは相撲も上手で、子どもたちと?神社で相撲をとったりもしていた。

幼い母は、真岡の海岸で特産品の昆布をひろうのが仕事だった。
→おばばの船がたくさんの昆布をもってくると、船からおろし、おばばの家の前に広げて干すのが仕事だった。おばばの家前は砂浜ではなく小石だった。海で遊んだ記憶はない。

おばばは母のことが気に入って おり、いずれ養子にと言っていたが、東北ジッジが「それは大きくなってから」ととめていた。
→上記その通りで、戦争がなかったら、違う人生だっただろうとのこと。東北ジッジも母を気に入っていたようで、母だけを連れて電車で真岡に買い物に連れて行った。阿幸駅から?真岡は大きな町でお店がたくさんあった。近所には露助(ろすけ:ロシア人への差別用語)も住んでいた。


2月も引き続き樺太時代をほりさげようと思いますので、ご協力をお願いします!


追伸:
ぶーくん、2/2予定通りですか? 母の欠食連絡もよろしくね。

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2014年01月29日

文学にみる樺太

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ひーのメール
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母の生誕地「真岡」は、日本文学にも痕跡を残している町です。たとえば、

1.岩野泡鳴
「 神秘的半獣主義」で有名な文人、岩野泡鳴がカニの缶詰工場をつくるため、真岡に渡ったことがある(1908年)。以下は伊藤整の「日本文壇史14」にある「泡鳴真岡行」部分の抜粋。

「...船から見ると、近くの山々はすべて低く、大きな木は見えず、山火事でもあったあとのように一面に青草が生え、所々に小さな木があっ て、その手前の海岸に板葺きの家々が並んでいた。...町を歩いてみると、海と並行した二本の通りがあり、その北の端に大きな缶詰工場があっ て、海辺に棄てられている蟹は足をのばすと四尺八寸ほどもある大きなものであった。家はみな簡単に板を内と外の両側から打ちつけてあっ た。...(日露)戦争後に日本領となったときに出来た家が八百戸ほどあるものの、いま人の住んでいるのは四百戸ほどで、寂れていた。緯度が 高いので、朝は3時頃から明るくなり、夜は9時になるまで日が落ちなかった。」
amazon 日本文壇史14


2.北原白秋
1925年、有名な詩人北原白秋は樺太観光団の一員として真岡に赴いている。以下は岩波の「フレップ・トリップ(北原白秋)」からの抜粋。

「真岡はアイヌ語のモウカである。「美しい波の上」という語義だそうである。...花野菜、千日大根、チサ、白菜、パセリ、にんじん、穀物、 豆類。海産物でははしりこんぶ(母が拾ってい
たのはこれ か?)、まだら、すけとうだら、からふとます、まぐろかぜ(ウニ)、それから花折昆布が目についた。...えび茶袴の二、三と逢ったが、着こなしがいかにも野暮くさ く、面相がいくらか内地とは違う...。真岡は原名エンルモコマブ、樺太西海岸での第一の殷賑な小都会で、ニシン漁で有名だというが、パルプ 工場以外、夏にはさして興味を惹く街でもなさそうに見えた...蠅がいること、蠅がいること。...いったい真岡という街が雅味のない街だっ たのだ」
amazon フレップ・トリップ

上の例だけでも、なんとなく、北の寂しい街としての真岡のイメージがつくような。私は高校~大学の頃、こういうものから真岡や樺太に興味をも ち、ロシア語も少しかじった。母の自伝がなーちゃん(ぶー息子君には、はやかろう)の興味をひくとよいと思う。

とりいそぎ「自伝」のご参考まで。日本文壇史(講談社)とかフレップ・トリップ(岩波文庫)とかは、ちょっと大きめの図書館にはあるんじゃな いかな。
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2014年01月28日

樺太の母


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ひーのメール
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いつものイタリアンで、母から断片的に聞いた話をまとめると以下の通り。

発端---はじまりは東北バッパ三姉妹。3姉妹の器量はよくない(笑)。東北バッパがその中ではまともだった。当時の東北バッパの仕事は、母をA社に紹介したSさんのコネでセッケンの行商だった。

おばば---東北バッパの家のはすむかいに、「おばば」というやり手の女性が住んでいた。東北バッパと血縁関係はなし。 おばばに旦那さんはいたが、子どもはなく、外にたくさん女をつくって浮気ばかりしていた。このおばば(りーの言う「大叔母」) は、旦那さんのこともあったか、一念発起し、漁業+海運で成功。たぶん海運関係で北海道-樺太と縁があり、北海道にいた東北ジッジ、かわ いがっていた東北バッパとともに、6隻の船とともに、樺太の真岡で漁業+海運+郵便業務をはじめた。真岡の郵便局といえば有名な事件があり、おばばはこれにも関与していたかもし れない。

真岡の母---あまり記憶はないが、東北ジッジは漁師相手の店をやっていた。手製のおもちゃも人気だったらしい。家にはラジオがあった。干しバ ナナの記憶もある。これは結構裕福な証拠。幼い母は、真岡の海岸で特産品の昆布をひろうのが仕事だった。おばばは母のことが気に入って おり、いずれ養子にと言っていたが、東北ジッジが「それは大きくなってから」ととめていた。

真岡撤退---母が数えで七歳というから、昭和19年(1944年)、おばばの船でおばば一族とともに真岡を撤収。真岡が1943年(昭 和18年)4月に 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」が廃止され、内地編入されたことが背景にあったのかもしれない。もしくは、戦局の悪化で疎開の意味あいが強かった のかもしれない。このとき、真岡の消防団長をしていた東北ジッジは残留。撤収組の中では、比較的条件がよい組か。後に母が、「小学校に、遠足でもないのにリュックサックをもってきて」と豆腐屋のM君にいじめられたが、その因縁のリュックサックは、この引き揚げ時からの お友達。

真岡からの撤退ルートは、真岡→函館→東北町。函館近辺で例の機銃掃射。「まるで、妹と弟の泣き声を狙っているかのようだった」との弁。 勿論、母はバリバリドカドカという音を聞いただけで、飛行機は見ていない。船倉の下で固まっていた。

・・・
  
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2014年01月25日

面会復活&母の自伝

ひーくん、ぶーくん

胃腸炎も沈静化してお許しがでたので、昨日も母と散歩&MACラテに行ってきました。

毎週母の同じ話に飽き気味で(^^;)、母の生まれてから今までの自伝を書くつもりで、インタビューにのぞもうと思い立ちました。まずは、母の父(東北ジッジ)から開始。やはり昔の話は鮮明で、私にとっては新しい話で面白い。まずは、樺太時代をよ~く聞き、大活字で印刷して小冊子にしてあげたら喜ぶかな。目指せ!母自伝出版(笑)

そういえば、父の幼少時代の話なんて、ほとんど聞いたことがなかった。。
  
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2014年01月19日

ウィルス胃腸炎で全館面会禁止

ぶーくん
cc:ひーくん

グループホーム川は、今度はウィルス胃腸炎の方が出たそうで、今週末のお見舞いは全面禁止となったそうです。残念ですが、今週は中止でお願いします。

ひーくんとぶーくんがごっちゃになってしまったようで、私に連絡がありました(^_^;)

幸いなことに、母は元気とのことです!


スタッフでうつってしまった方もいるよう。お世話をしてくださる方は本当に大変。。どうもありがとうございます。一日も早く落ち着きますように。


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ぶーのメール
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了解しました。
今週末は中止します。


 

読んでくださって、ありがとうございました



at 05:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 兄弟メール 

2014年01月18日

ホームでノロウィルス!&膠原病外来

ひーくん、ぶーくん

膠原病の検査は無事終わりました。一番の予約でも、グループホーム川から8:30にタクシーで出て、11:30に戻るという3時間コース。母には疲労が見えましたが、半年に1度程度なのでがんばってくれました。2週間後の結果は、私一人で聞いてきます。

さて、昨日のグループホーム川の健康診断は2月に延期されていました。施設長から、入居者1人がノロとなり、職員3人に感染、幸いなことに入居者への感染ナシという事態のためと説明がありました。このノロは面会人からきたようなので、体調不良なときには面会を遠慮いただきたいとのこと。

ぶーくん
今週末は基本的には面会遠慮いただきたいとのことでしたが、母は元気だし、君たちが館内に入らず、到着後に電話をして、母を外に連れてきてもらえばOKとのこと。欠食の電話をした際に、他のスタッフから何か言われたら、施設長のコメントを伝えてください。
 
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2014年01月16日

ぶーの清算11/17~

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ぶーのメール
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今週末は私がグループホーム川に行く予定なのですが、11/17以降の4回分の交通費を精算します。

11/17 高速代 1800円
   ガソリン代 300円
   母の買い物(S店) 798円

12/1 高速代 1800円
   ガソリン代 300円
   昼食代 2330円(H屋)
   駐車場代 500円

12/15 高速代 1800円
   ガソリン代 3000円

1/5 高速代 1800円
  ガソリン代 300円
  昼食代 4070円(ほうとう)

合計:15598円

上記金額を近日中に引き出します。
 
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2014年01月14日

私の昔話は出てこない!?

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ぶーのメール
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ひーくん、りーさん、お疲れさまです。

先週のほうとうは、初詣の時に外が冷えていて”暖かい物が食べたい”とう話になり、母の希望はラーメンだったのですが、神社からホームに戻る途中にはラーメン屋を発見できなかったので、たまたま見かけたうどん屋に入った次第です。

ちなみに母が私や子供達と話している時は、大学卒業にやっとの思いで33万の授業料を払ったという話とひーくんと私が布団の上でプロレスしていたものだから、布団表面がびりびりだったという話題が定番ですね。

不思議とりーさんの昔話はあまり出てこない。。。
たまたまなのかな。。

りーさん、木曜日の検診同行よろしくお願いします。

今週末は19日に訪問予定です。
  
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