父の逃げ場は?父のディ見学決定

2013年01月28日

父も、やっぱりディ

ひーくん、ぶーくん

おはよう。

ぶーくんの助言をうけ、父が祖父としていた囲碁と将棋の会を探し、父に水をむけてみました。また、以前に通っていた老人大学の春からのコースも話しました。しかし、興味がなさそうでした。

理由は、これまたぶーくんの指摘通り、億劫なのだと感じました。コミュニケーションはしたい、でも、新たな場所は物理的に通うのも精神的に合わせるのも面倒!?

ディサービスはお客様。お迎えもあるし、ヘルパーさんがコミュニケーションの相手にも媒介にもなってくれる。父もその楽さを感じて、ディに興味を示したのかもしれません。ということで、準備出来次第「ディ」ですかね。


日本の介護費用増大の対抗策としては、高齢者がお金のかかる「作られた場」ではなく、仕事・地域・趣味の場で自ら生きていくことか、「老後の快適な作られた場」のために生涯高い税金や費用を喜んで払うこと?私自身の生き方を問われているような気がします(笑)


そうそう、母は先週金曜に続き、昨日火曜もディに行ったそうです。私とはちがって嫌味にならない(^ ^;)なーが探りを入れ、行ったら盛大にホメる作戦もよかったかも。


 
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ひーのメール
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「ディ」でよいと思います。

まあ、父母はもう余生。やるべきことはやった「おまけの人生」(生物学的には、人間の耐用年数は50年)なので、新しいことは無理だし、や る意味もない。身体と状況が許す限り、できるだけ心身の保全に努めればよいので、上向き上昇はありえない。そう割り切るしかないと思います。

人間というのはわがままなもので、まわりが平均80年生きていると、自分が80年生きるのは当然のように考えがちです。しかし、人間の寿命 は数万年にわたって30年だったし、江戸時代でも50年程度です。考えようによっては80年も寿命があるのが異常なので、異常を正常とするか ら、色々な問題が生じるのでは?

個人的には、私ももう余生に近いので、自分の心身のいうことをよく聞いて生きていこうと思います。ちなみに、私の心身の声は以下の通り。

研究→まだ面白いと思えるのでやる。運営→見方によっては、サバイバルゲームでそれなりに面白いのでやる。地域→うっとうしい。 孤独死してもよいから、つきあわない。趣味→せいぜい数時間であきる。人生のメインにはなりえない。老後の楽しい場→いらないなあ...。倒 れたら、そのまま、ポックリと旅立つのが理想。動物と同じで、弱ったら死ぬのが自然。

生きのびたら、父と同じになりそうな予感でいっぱい。やはり、親子とはこういうもの?


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私のメール
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ひーくん

> 倒れたら、そのまま、ポックリと旅立つのが理想

皆(もちろん私も)憧れるも、なかなかポックリと逝けず、生き延びる(^ ^;)

気難しくひきこもった博士を、ひー妻が世話するのはしのびないので、退職後は、寺子屋なんて是非やってほしい!ひーくんなら、学ぶ面白さをこどもに教えられる。なーは間に合わない?かもしれないけれど、なーの子供を通わせたい(笑)

暇さえあれば算数のユニークな解き方を考える、なーのクラスの男子。ただ、コミュニケーション能力が低く、既存教育では埋もれる。こういう子の才能も育てる場所もあったらいいのに。。なんなら雑務は全て私が引き受けるので、頭の隅においてくれたら嬉しいです。


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ぶーのメール
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父の件ですが、私も「デイサービス」で良いと思います。父のこれまでの人生を振り返った時に、仕事以外の楽しみが無いに等しい状況だったことを考えると、新たに娯楽を見つけるのは決して楽しいばかりではないのでしょう。80歳前後になると半数は何らかの認知症状が出ると言われていますが、こうした意欲の低下もその一部ととらえても良い気がします。

食生活が豊かになり医療が進歩したことで平均寿命は延びていますが、介護現場にいると「長生き=幸せ」とは正反対の現実があります。多くの高齢者は自立して生活できている間はまだ良いのですが、何らかの原因で自立した生活が破綻すると頼りになるのは結局身内のようです。

ですが、身内がいない人たちのその後はかなりつらい現実が待っています。今は倒れてもポックリとはいかず、不自由、不具合を抱えたまま生活していかなければいけなくなる事が多いのです。そんな方たちを支えているのは結局地域の方たちだったりします。

ひーくんが地域との付き合いを避けるのは自由ですが、夫婦二人どちらか健康を害すると地域に頼らざる得なくなるのもまた現実です。そんな時のために地域づきあいはしておいた方が良い気がします。


話は違いますが、最近両親からまともに宅急便が届くか無くなってきました。現在の住所に引っ越しをして1年以上になりますが、未だに以前の住所に荷物を送ってきては配送業者から転送の連絡がきます。11月、12月に海町に行ったときにも新しい住所を大きく書いた紙を父に手渡ししてきましたが、やっぱりだめですね。ちなみに、現地で目に見えるところにある住所は新しい住所に書き換えてきています。両親が何を見ながら送り状を書いているのか分からないのですが、両親の衰えを実感しています。

私は来週から試験がはじまり今は通常業務の合間に勉強の日々です。これも修行ですね。

読んでくださって、ありがとうございました
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at 05:21│Comments(0)TrackBack(0) 兄弟メール 

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