グループホームで喧嘩!?母は扶養に入れず・・

2013年06月24日

運営推進会議と喧嘩の真相

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ひーのメール
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「グループホーム川」の運営推進会議に初出席。10:30~11:50まで。参加した家族は私を含めて14名。この種の会合としては、異例に多い のだそうな。

家族の自己紹介の後、特養ホームの方が挨拶。その後、それぞれの階の現状報告。どの階でも推進会議の期間中、大体2~3名が特養行きか病院行きでいなくなり、すぐに新人でうまるという状況らしい。これが終わったのが11:10。ここで終われば良かった のだが...。

その後40分、「骨折について」という本のコピーを配られ、職員が丸々音読後、施設長が自己の経験をふまえ解説するという内容。これがき つかった。身体が完全拒否体制にうつり、吐き気と頭痛。

それから母をつれて駅前方面に。そろそろ他の店を開発しようと思ったら、母がいつもの店を「発見」し、「この夏は食べていないから、中華がいい」と言いだし(笑)、結局同じ店へ。例のケンカの話を聞いてみたら、どうも1Fに一人だけいる男の入居者が、スタッフの「赤ちゃん扱い」に 激高し、トラブルになったものらしい。母たち入居者は、この男性とは話をしたことがなかったらしいが、スタッフとのケンカになると、この入居 者を断然応援。小声で「イケイケ、ヤレヤレ」とあおっていたらしい(笑)。「むこう(スタッフ)には、日頃、ぎゅうぎゅうとおしつけられてい るからね」と母の弁。

最近の記憶で覚えていたのは、りーとの古本買いでした。いつかは定かではないが、ハワイアンが慰問にきたことも覚えていました。なお父の死は、母にとって10年前に感じるとのこと。母にとって最近の記憶は、我々の10年前(2003年前後)の記憶の感じと思えばよいらしい、 と見当がつきました。古本買いやハワイアンは10年記憶に相当するビッグイベントだったわけです。一方、1ヶ月前の冷中華は約1年前の記憶となり、「今年は食べてない」になったのでは。「昨日の記憶は10年前の記憶」---(いまのところの)母の世界を理解する鍵かもしれ ん....と吐き気がおさまらない中、母とにこにこ中華を食べながら、考えていました。

一方で過去の記憶はまだ鮮明。生誕地が「まー市」だったこと、そこで手広く事業をしていた「おばば」に、3人娘の中でいちばん明るくはきはきしていたので(←本人談)気に入られ、養女になることになっていた。世が世なら、まー市の郵便局長の箱入り娘だったそうな。残 念ながら、戦争でまー市からは「おばば」の船で引き上げ。そこで、乗船していた家族は解散、我々がよく知る、母の戦後の苦労がはじまったらしい。

まあ、こういう話で記憶の低下を抑制するのが、我々の役目かな。なお、母がどうしても気になるのが、たー伯母息子の結婚とおじ家。なにぶ ん「10年前」なので、おじさんの家の話はゆらゆらと消える寸前。しかし、話をするたびに、「これが最後だ。連れて行ってくれ」というの で、なんとかかなえてやりたいと思いました。


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私のメール
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ひーくん
ccぶーくん

本当にお疲れ様でした。どうもありがとうございました。そんな苦行まであったとは、体調は戻りましたか?次回の運営者会議は、私かぶーくんが出ますね。

母の情報もありがとう!ひーくんによく話すんだと驚き。ひーくんがきっと聞き上手で、話しやすいのかも。

ちらっと思ったのは、ハワイアン慰問は聞いていないので、私が連れていったハワイアンイベントのことかも。

 

読んでくださって、ありがとうございました



at 05:40│Comments(0)TrackBack(0) 兄弟メール 

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