本当に母がやりたいことは?イタリアンでインタビュー

2014年09月06日

母自伝:東北I町編

ひーくん、ぶーくん

昨日の母は中の下、とぼとぼ歩く姿に、久々に自伝インタビュー再開。MACでカフェラテを飲みながら、1.5時間じっくりと語ってくれました。

ひーくん、
今週末に母を見舞った際には、下記の追加や次章「S商店」の話がきけたら是非教えてください。

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東北I町編 
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1949年(昭和24年)6月1日の樺太庁廃止と真岡町廃止の影響か、母小五の夏、東北ジッジが樺太からもどり、一家は東北I町へ。

長男・T伯父が勤めるA加工所の空いた納屋に住むことになった。納屋は手を入れ、2部屋と台所、屋根の下にはドラム缶の風呂と、ほったて小屋にトイレ。ここに、東北ジッジ・バッパ・たー伯母を筆頭に5人兄弟の計7人。東北ジッジは引き上げ前のように子供と遊ぶこともないどころか、威厳があって母は直接話した記憶もあまりない。樺太からかなり衰弱して帰ったようであまり働けなかったらしい。死を予感していたのか、東北バッパが目の前の加工所で働く給金もなるべくため、まもなく死んだ。

一家の生活は更に苦しくなった。(月々3千円の生活保護をもらう。これは屈辱的だった。その後、A会社に勤務したときに、500円の月給のうち、「お世話になったものです」と無記名の封書で2~300円を東北I町の役場に毎月送金した。無記名とはいえ、消印や状況から母の仕業ということはバレバレだった。後にこの件で、東北バッパさんにほめられた。)

東北バッパは「ニコヨン(日給240円)」と呼ばれた日雇いの土方で稼ぎ、家の周りに畑をつくり、糞尿を運んで食料のたしを作った。ガタイがよくなり、普通の服は入らない。いつか、東北バッパに服を作って贈りたいと母の気持ちが固まる。

たー伯母は家事を引き受け、えこ叔母・S叔父の面倒をみた。母とM叔父は毎朝・毎夕の納豆の行商で生活のたしを稼いだ。母の中学卒業するまでの生活は、朝の納豆行商、朝食、小学校(パンの給食あり)、宿題まる写し、夕方の納豆行商、夕食、2.3日に一度ドラム缶風呂。

納豆行商は、納屋の隣に住んでいた人が徒歩10-15分へ引越し納豆屋をはじめたことによる。朝起きると母とM叔父は、各自10個ずつ仕入(単価7円)、10円で販売して計30円の利益。朝だけで10個を売り切ることは難しく、残ると夕方に売る。ごくたまに加工所の寮のようなところが朝10個全て買ってくれることが何よりも嬉しかった。つぶれて売り物にならない納豆1個に、畑の白菜などをいれてかさを増やし、家族全員の朝食のおかずにした。

とにかくいつもひもじかった。夕食もお味噌汁とご飯だけ。目の前の加工所へ台車で魚が運び込まれるときには、M叔父とともに石を並べて、魚がおちるようにした。落ちた魚は普段は世話になってばかりのお寺や近所へのお遣い物となるほか、豪華な夕食のおかずになることもあった。

小学校に通うものの、貧乏な母は何かといじめられた。豆腐屋H君は、母がランドセルではなく、リュックや風呂敷で通うのを「遠足じゃないのに」といじめた。行商は大変だし、勉強はさっぱりわからない。学校から帰ると近所の成績のよいIちゃんが遊びに来て宿題をするのを、母は丸写しするだけだった。

納屋の屋根の下に設けたドラム缶風呂のマキもどこからか拾ってきた。お風呂をわかすと近所のお風呂のない人ももらいにきた。マキや何かをお礼にもってきてくれるので、むしろ大助かりだった。

東北バッパは弟家族を田舎から自分の近所へ呼び寄せていた。弟は船乗りでいつも留守、弟の妻と、娘4人と息子1人。東北バッパは貧しいながら、何かあるとこの家族にもわけた。しかし、この義妹とこともあろうか長男・T伯父がいい仲となってしまい、東北バッパは親戚や近所に顔向けができず、隠れてどんなにか泣いていた。母は母を泣かせるT伯父を許せなかった。

貧乏な中、たー伯母は中3の修学旅行で東京にいくことになった。家中のお金をかき集めて旅費をだし、たー伯母には小遣い150円をもたせた。たー伯母ははじめてもつ大金に浮かれ、全てを使い果たしてもどった。東北バッパは「なぜ使ってしまった」とたー伯母をゆさぶりながら泣いた。たー伯母がお土産としてもって帰った黒いバナナ1本を東北バッパは均等にわけて子供たちにくばった。母はこのバナナの美味しさは忘れることができない。

たー伯母の1年後が母の修学旅行。1年ではお金がたまるはずもなく、母は修学旅行に行けなかった。1クラス70人くらいで5クラス計350人のうち、修学旅行に行けなかったのはわずか6人のみ。この6人は先生に連れられ県内の大きな市に日帰りで行った。母は「いつか東京に出てやる」と決意した。(この同じ中学の同学年で別のクラスだったTさんが昔町の近所に引っ越してきたときには本当に驚いた。別のクラスだったのでいじめられたこともなかったのはよかったが、お互い何となく気まずかった。)



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ひーのメール
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承知しました。「自伝」は認知症の進行を止める上でも有効と思うので、ききだ してみましょう。
 

読んでくださって、ありがとうございました



at 05:55│Comments(0)TrackBack(0) 母自伝--3)東北I町 

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