アリセプト3mmから5mmへ要支援1となった

2011年06月18日

認知症の専門医

2010年夏に母のもの忘れに気がついて以来、
膠原病で通う総合病院の、脳神経外科へ通院していた。
リラックスさせて笑わせてくれる医師で父母は信頼していた。
でも、「大したことはない」との診断にはいつも疑問があった。

コー社長は「脳神経外科医と認知症専門医は異なる」と断言。
細分化される医療現場では当然だとも思う。

隣町の浜町には、コー社長が信頼する専門医がいると言う。
でも、父母だけでは浜町への通院は難しいと思ったのだが、
同じ浜町にあるロックに定期的に往診していると知り、
ロックへは車の送迎サービスを利用するのだからと診察を決意。

新しい医師へ診てもらうことについては、
父母ともに、特に母の大きな抵抗があった。
この時点では、母はロックも何も知らないのだから不安も当然ある。
けれども、母の短期記憶の低下が、私を強く後押しした。

・医療も進んだので、専門化されている
・海町病院の先生はすばらしいが、母の状態の専門医ではない
・浜町には、高齢者のもの忘れの専門医がいる
・父母が二人元気で長く暮らせるように、是非一度診てもらいたい
・もし気に入らなければ、2度目から行かなければいいだけ

行く直前まで渋る母を連れ出し、実際に浜町院長に診ていただくと、
会話のなかにたくみに、テストを織り込み、
あれよあれよという間に、母の状態を浮き彫りにしていった。

海町病院にもつきそっている父も、「専門家はやっぱりちがう!」と絶賛。
母も好ましいと思ったようで、何よりだった。

でも、浮き彫りにされた母の姿には、やっぱりショックだった。
そして、母が検査室に行ったあとで、「アルツハイマー」を告知された。
覚悟はしていたけれど、深い穴におちていくような気がした。。

読んでくださって、ありがとうございました
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